2011/10/07

シンクロナイズド・トレモロ

Guitar の回顧録ばかり続いてしまった…、趣を変えて。

Stratocaster の6点支持シンクロナイズド・トレモロを実用レベルにするにはいくつかのコツがある。
それを把握する以前はフロイド・ローズに逃げたりもしたが、
現在はどの個体もほぼ満足できる調整&演奏法を探り当てた。
ただしフローティング・セッティングが大前提なのをご了承頂きたい。

キーワードは 【アームユニット】 【ナット&ストリングガイド】 【ペグ】 【演奏法】、以上4点である。

【 アームユニット 】

まずアームユニットの稼動範囲で6個のスタッド・ボルトの頭が干渉しない事が前提である。
弦とバック・スプリングを外し全てのスタッドを数回転以上緩める。
限界までアーム・ダウンした状態で1弦側.6弦側、両端のスタッドだけを頭がプレートに軽く触れる所まで締める。
この状態でアーム・アップ・ダウンを繰り返しアームユニットが滑らかに動くか確認する。
次に残り4本のスタッドを先のより少し緩く締める。具体的には頭がプレートに接してから半回転程緩める。
再度アーム・アップ・ダウンを繰り返しアームユニットが滑らかに動くか確認する。

この状態で抵抗があったり異常な動きが見られる場合はベース・プレートのボルト穴が不均一な可能性あり。
器用なら棒ヤスリ等で調整、不器用なら高精度な GOTOH のユニットへの交換も一法。
要は両端のスタッドが主で残りは副、スタッド・ボルトが緩んでいるように見えて心配に思うだろうが、
現在主流のレギュラー・ゲージ以下ではビクともしないのでご安心を。

次にフローティング・セッティング。
バック・スプリングは2本。(稼動パーツが少ない程誤差も少なくなる。)
限界までアーム・アップした時に3&6弦が1音半上がるよう調整。
(ダウン量は減るがこれで2&5弦は約1音、 1&4弦は約半音アップできるようになり演奏が楽になる。)
ただしスプリングにヘタリがあるとアーム使用後の戻りが不完全なので新品に交換を。
お勧めは GOTOH のパワースプリング

【 ナット&ストリング・ガイド 】

弦を張った状態でペグ~ストリング・ガイド~ナット~サドル までが一直線である事が前提。
くの字になっている箇所がストリング・ガイドなら移動、ナットなら交換。
ラージ・ヘッド等の3・4弦ストリング・ガイドは撤去。
(抵抗を少しでも低減する為。ペグを可変 or 段違いポスト・タイプへ交換するなら1・2弦用も撤去)
ナット及びストリング・ガイドの弦接触部(溝)に Nut Sauce 等の専用潤滑剤を塗布。
(えんぴつの芯は個人的に効果?)
交換が前提なら GRAPH TECH TUSQ がお勧め。

【 ペグ 】

ガタツキが見られるものはNG。
肝心なのは弦の巻き方。レギュラー・ゲージ以下なら巻弦2巻き、プレーン弦3巻きで充分。
ペグ部では弦の緩みが最大の要因なので欲を言えば GOTOH マグナムロック等の弦ロック型が最良。
可変ポスト&ロックの H.A.P.M.なら最強。(ストリング・ガイドを撤去できる)

【 演奏のコツ 】

上記調整またはパーツ交換を行っても狂いを完全に無くす事はできない。
そこで演奏中にちょっとした行為を行えば狂いを最小限で維持する事は可能だ。

チューニングが狂う最大の原因は、アーミング後弦が元の状態に戻らない事である。
アーム・ダウンを行えば弦はペグ方向に移動する。その後ただアームを離しても弦はシャープした状態になるだけ。
アーム・ダウン直後に必ずアーム・アップする。(またはアーミングでアップ方向のヴィブラートをかける)
アーム・アップ後は逆を行えば良い。 一瞬ミュートし無音で操作を行う方法もある。
その為にはソロや楽曲の組み立て方も工夫が必要になる。

ただし個体により狂う範囲、狂いが大きい弦が異なる為、それぞれの特徴を把握しておく事も重要。
特定の弦が大きく狂う場合はハンド・ヴィブラートやチョーキングの複合技が必要な場合もある。

ベテランにとっては当たり前な記述ばかりだとお叱りを受けるかもしれないが、
これで演奏前後に数セント程度の誤差に留める事ができるようになった。
若い初心なギタリスト達の一助になれば幸いである。

ベタ付けアーム・ダウン専用の方は何の参考にもならないので悪しからず…

2011/09/21

Fender Japan ST72-65

’82年 フェンダー・ジャパンが設立された時には驚いた。
え? Fenderロゴのギターが10万円以下で買えるの?
しかし神田商会扱いだったし、どうせグレコのロゴを変えただけだろうな、
と大して興味が涌かなかった。

2年ほど経過した’84年、
その頃ロッキング・ア~ム3兄弟でグニョグニョ悦に入っていた訳であったが、
ふと立ち寄った楽器店で何となく手にしたのがコレ、
定価6.5万のラージヘッド’72年モデル、
スキャロップドではないがR・ブラックモアそっくりさんなストラトであった。

間近で見ると、やっぱり~、Fender(USA)とは全然違うじゃ~ん!

貧乏大学生ではあったが、
本物を所持する裕福で御曹司な軽音部員が何人も居た為、
弾かせてもらったりイジらせてもらったりしたことはある。
その程度の目から見ても似て非なるモノなのは明らかだった。

まずボディー形状が全く違う。
当時のFenderは生産効率重視の為、
ボディーの面取りが極力少なく、コンターも浅く、つまり角張っているのだ。
それに比べそのジャパンはまるで60年代のようにコンターが深く、
ボディーの面取りも多かった。

次にフレット。
その細くて低いフレットは日本製コピー・モデル定番で、
こりゃすぐに磨り減りペッタンコになっちまうよ~的な残念な物であった。

またパーツ類も日本製のミリ規格、
唯一の売りなUSA製リアPUもフロント・センターの形状と違う為、
かえって日本製パーツの貧弱さを目立たせる結果となっていた。

結論 : 予想通りグレコにFenderロゴを張っただけのシロモノでした。

で…
そんな残念賞なストラトを何故に所有しているかって?…

…、貧乏人ほどブランドロゴに憧れるんだよな。

しかし、コレ(JVシリアル・フジゲン製?)が
二十数年後に中古価格高騰とは当時夢にも思わなかった。
世の中何が起こるか分からんね。

ま、ジャンボ・フレットに打ち直したりサーキットを弄ったり、
自前改造しまくりなので何の価値も残って無いのだが…。

2011/08/18

Fernandes JS100

変形である。 V である。 

'84年 大学の軽音学部仲間で浜田麻里コピー・バンドを結成した。
いや結成したというより`させられた'、能動ではなく受動である。
軽音ではJ・ベックやG・ムーア、A・D・メオラなど、主にインストを演っていた。
他のバンドは軽音(けいおん)の名の通り、
聖子ちゃんバンドだのサザン・バンドだの、軽~い音楽を演る連中ばかり、
一般人にとって訳の解らないインスト・バンドよりウケが良いのは当然だった。

ある時うちのベーシストが
「女ヴォーカルを入れてLiveでウケてみたい。」
などとふざけた事を言い出した。
「何を言ってるんだ!やろ~ぜ!」
最大に抵抗しつつも即決した。
女ヴォーカルったって、聖子やら明菜やら杏里を演るつもりは無い。
洋楽、パット・ベネターやスージー・クワトロで軽~い奴らをぶっとばしてやろうぜ。
まだまだ血の気の多い20代前半であった。

軽音の女性部員を入れても面白くない。
早速 Player誌のバンド・メンバー募集欄に葉書を出した。
「♀ヴォーカル募集、当方♂4人・ハード・ロッカー、プロ指向ではありません。」
雑誌に掲載されると早々に連絡がきた。
最寄の駅で待ち合わせるとロン毛ミニスカのイケイケ風おネ~ちゃんがやってきた。
近くの喫茶店に入り面談。開口一番、おネ~ちゃんは
「あたし、浜田麻里を演りたいんです!」

??? 誰ソレ?

するとうちのベースが
「知ってる!そういえば君、浜田麻里に似てるね!」

??? そうなの? チンプンカンプン

洋楽に首っ丈な自分としてはその押しの強いおネ~ちゃんの熱意が伝わってこないのだが、
うちのベースが目を輝かせているのが気になる。
するとおネ~ちゃんはウォークマンを取り出し聴いてくれと言う。
随分と用意がいいのねと思いながら聴いてみると、ぉお、ハード・ロックしてるじゃん。
ギター・ソロはカッコ良いしドラムもパワフル、それにも増してヴォーカルが強力、シャウトしまくりじゃん!
後に知る事になるのだが、そのアルバムのギターはかの有名なセッション・プレイヤー、マイケル・ランドウだし
ドラムはラウドネスの樋口宗孝であった。
でも…、このおネ~ちゃんに唄えるのであろ~か?
疑いの眼差しを察したのか、バッグから別のカセット・テープを取り出した。
「前のバンドであたしが唄ったやつです。聴いてください。」
用意周到・ヤル気満々なおネ~ちゃんであった。

そんなこんなでバンド・メンバーは決定した。
本意ではないが邦楽ロック(ジャパ・メタ?)を演る事となった。
当時リアにハムを載っけた自前改造ストラトがメインだったのだが、
この浜田麻里そっくりさんのド派手おネ~ちゃんに対抗する為、
目立つ変形ギターを、と購入したのがこのJS100である。
(歳を取ると前置きが長い、つ~か余計な話が多いね、反省)

フェルナンデスのジャクソンVコピー、 R・ローズ・モデル。
R・ローズは知っていたがあまり興味がなかった。
V と言えば M・シェンカー、中高生の頃 R・ブラックモアに次ぐ師匠だった。
しかし貧乏大学生にギブソンは買えない。
それより浜田麻里の楽曲でアーミングが必要な場面が多々ある。
ド派手・V・アーム、この3点を満たしていた事が購入の決め手であった。
コピー品といっても定価10万円(値引いてもらっても9万円以上、当時の値引きは渋かった)
は貧乏大学生には痛い出費であったが、このナウいおネ~ちゃんに対抗する為には仕方がない。

変形という以外コレといって特徴のあるモノではないが、
アームはファイン・チューナーが登場する前のフロイド・ローズ・ライセンス、
フェルナンデスFRT-3。ところがネック取り付けアングルの影響で、
ストラトと比べとんでもなく高い位置にフローティングしている。
これが功を奏しアーム・アップが無限にできる、弦が切れるまで上げられるのだ。
エモーショナルな変態奏法もお手のもの、嬉しい誤算であった。
オマケにネック・ジョイントはスルー・ネック? と勘違いするほど薄く、
V型ボディーと相まって22Fに軽々アプローチできる。
V ってこんなに弾き易かったのか、新たな世界を発見した次第である。

ただし木部は残念賞。マホガニーなそのボディーは10ピースもの継ぎ接ぎ。
ま、本物の1/3の価格だから仕方がない。塗り潰しの極厚ウレタン塗装なので目立たないし、
まさか多少の事で分離してバラバラになる事もなかろう。

浜田麻里ジャパ・メタ・コピー・バンド用に買った V ではあったが、その演奏性の高さについ手が出てしまい
メインのインスト・バンドでもストラト改やESPレスポを差し置いて使いまくり、
周囲の嘲笑を誘った事は今ではそっとしまって置きたい恥ずかしい思い出である。 ← なら公開するな

2011/08/08

Valley Arts Custom Line Limited

Guitar 第4弾、前メイン・ギターの Valley Arts 登場。
と、散々放置していたBloggerが何事も無かったかのように動き出す。



Les Paul に書いたが、同業者組合のおじさんバンド用に急遽購入した
’86レスポール・カスタムが重くて・重くて耐えられなくなった。

素人おじさんバンドである。練習が長い、ひたすら長い。
酒を飲みながらグダグダ・ダラダラ、3時間も4時間もあ~でもない・こ~でもない。
終いには月末に控えたLiveにあと3曲仕上げなければならないにも拘らず、
突如ビートルズやGS(グループ・サウンズ)のナツメロ・セッション大会が始まる始末。
4.6キロのレスポを抱えている身にもなってくれ…
(自社ビルを所有する羨ましき同業者がバンド・メンバーな為、その一室をスタジオ化し時間無制限で使用できる)

冒頭から話が逸れたが、肩・腰を壊す前に自衛手段の為 購入したのがこの Valley Arts である。
’90年代前半、ハイエンド・ギターズ時代の Japan Valley Arts でお茶の水イシバシから中古で購入した。
木部はワーモス製バーズアイメイプル・ワンピース・ネックに極厚エボニー指板、
ボディもワンピースのメイプルで表から裏まで繋がったこれでもかという程の下品なキルト。
(キルトメイプルの板を側面から見るとタイガーズメイプルになるのね。…当たり前か)

ボディが単板(張り合わせが一切無い一枚板)な個体は当時のカタログには存在しないモデルで、
購入後しばらく ??? だったが、数年が経過した’99年頃、
当時ネットで盛んに他人と交流していた頃に知り合った Valley Arts 愛好家に、
特注に近い少量生産モデルのSRE450または380ではないか?
との指摘を受けたが、それ以降 有力な情報が無いまま現在に至る。

PUは Valley Arts 定番のEMG、フロント&センターがシングルのSA、リアがハムの85。
ノイズレスを目的とした本格的なアクティブ・ピックアップの使用は初めてであったが、
余分な雑味の無い澄んだ音色に一発でやられてしまった。

アクティブPUはどんなギターに載せても、また誰が弾いても同じ音、
等と否定する意見を耳にするが、それを言ってしまえばパッシブPUでも同じ事、
ディマジオはディマジオの、ダンカンはダンカンの音でしかない。
要はEMGの音が気に入ったか否か、ただそれだけの話なのだ。
(その点ベーシストさんの方が先進的で、新しいモノをどんどん取り入れ主流にするね)

EMG(アクティブPU)否定派の知人に、
レスポで録ったと嘘を付いたデモCDを聴かせた事がある。 ←意地悪
「やっぱレスポの音は良いね~。」との感想に、所詮うんちく人間の耳はこの程度よ
と、ほくそ笑みながら自己満足に浸る意地悪人間がいた。
因みにそいつに真実は伝えていない。 ←意地悪×2

また話が逸れてしまったが、
スタジオ・ミュージシャン気分で何でも演れる Valley Arts は最高の相棒であった。
気が変わり易く浮気性でメインギターをコロコロ変える人間が10年近くも使い続けた。
なのに何故 Stratocaster へ変更したかって?
女房は古いより…(以下省略

2009/10/03

Les Paul

Guitarシリーズが続く…

お次はレスポール3兄弟。
まず上段がバーニー(フェルナンデス)のコピー・モデル、大学の時 友人から購入した。'70年代中期頃の物で型番は失念したが定価9万だったようである。この頃はフェンダーにしろギブソンにしろ、生産効率やコストダウンを最優先していた時代。 国産メーカーの安物コピー品の方がオリジナルに忠実で造りが丁寧、なんて笑えない現実があった。…本物を買えない金欠の貧乏大学生には有り難い事この上なかったのだが。

ギブソンがメイプル・多ピース・ネック、積層マホガニー・バックのボディだった時代、このバーニーはレスポールの王道、マホガニー・1ピース・ネック、メイプル・センター2ピース・トップ&マホガニー・1ピース・バックのボディ、タバコブラウンの塗装はニトロセルロース・ラッカーであった。またペグにはグローバーが奢られ、本家の1/4の価格とはとても思えないその内容は‘メイド・イン・ジャパン’の本領発揮と言ったところか。
* ヘッドに堂々と「Les Paul Model」と入っているのはご愛嬌。

中段は御茶ノ水ESPのハンドメイド・モデル、
「Navigator」ブランドの変り種レスポールである。
ESPは国産としては高額なハンドメイド・ギターばかり扱っていた為、
貧乏大学生には縁の無い存在であったが、
何を思ったか常連であったイシバシやクロサワを通り越し
靖国通りを渡ってしまった大学3年('83年)の夏だった。
初めて店内に入ると案の定、高額な値札のギターが所狭しと吊るされており
一桁のギターなんかありゃしない。
俺が来るには10年早い、速攻で店を出ようと思った矢先
奥にあるこの真っ赤なレスポールが目に飛び込んだ。
恐る恐る近づくと「なんだこりゃ!」レスポにアームが付いている、
それも当時アーム使いに大ブレーク中のフロイド・ローズばりのロック式。
第三者から見ると口をポカーンと開けて固まっていた‘にいちゃん’だったのであろう、
早速店員に発見され声をかけられた。
いやいや今日は目の保養に来ただけでこんな高額なギターは買えません。
と逃げようとしたが「大学生でしたら月々の分割で無理なく購入できますよ。」
との一言に欲しい病を発症してしまった。
オマケに実験的に作ったプロトタイプなので29万を23万に値引くと言う。
商売上手な店員に「とりあえず試奏しませんか?」と言われるがままこのギターを抱えた。
アンプに繋ぐと超絶パワーのピックアップにロッキング・アーム、
当時傾倒していたゲイリー・ムーアのあの音じゃん。
アーミングが必要な「パリの散歩道」インスト・ヴァージョンだって楽に弾けるじゃん。
(ゲイリーのライヴはストラトで‘パリ散’を弾いていたのだが)
人生初の‘ローン’を組んでしまった瞬間であった。

さて時代は10年程進む。
下段はギブソン・レスポール・カスタム、ようやく‘本物’の登場である。'86年製を中古で購入した。
とっくに社会人になってはいたが専門技術の修行に忙しく、大学卒業後ギターから遠ざかっていた。
自営を開始し同業者組合に加入するとそこには‘おじさんバンド’が存在していた。
履歴書の趣味欄に「ギター、バンド演奏」
と記入しているのを知ったバンド・メンバーが声をかけてきた。
ギターの大半を売却してしまっていたので慌てて購入したのがコレを所有するきっかけ。
購入時点でフレットの痛みがあったので原宿の松下工房でリフレットしてもらった。
ネットでアレコレ言われているのを目にした事があるが、良い仕事してますよ松下工房さんは。

'80年代のギブソンも歴史上評価好ましくないのだが、
一応構造は原点回帰に向かっており、'70年代のような‘変な’レスポールではないのが救い。
(カスタムのオリジナルはオール・マホガニー・ボディにP-480&P-90ピックアップなのだが)
また'90年以降に一部存在するの‘チーズ’構造ではない証拠が重量、4.6キロは重い。
この重さが若年の頃から腰痛持ちには耐えられず、
メイン・ギターに一度もなった事が無いのがレスポールである。

出音は好きなんだけどねぇ…